「気」について(~(エ)~;) 気き~ 「気の発見」
“小熊Q太郎”の「Q」とは 私たち日本人が日常会話で何気なく使っている「気」とは、具体的にはどんなものでしょうか? 私(小熊Q太朗)の本来の仕事は、各国語に対応する司法通訳の派遣及び翻訳業務ですが、この司法通訳翻訳業界で、近年もっとも多く発生している訴訟事件の一つに、日本と海外との「医療訴訟」があります。 中でも翻訳や通訳に困るものは、「中医学」や「鍼灸治療」の中心理念にあります「気」についてです。実は、西欧語圏には「気」に該当する適切な翻訳語を探すのが大変困難なのです。と言うよりは、むしろ「気」に該当する言葉が無いと言った方が適切です。 ですからこの場合は、ただ「Qi,Chi( チー)」と発音を表記するだけなのです。
見方を変えると、西洋社会で「気」に該当する単語が無いと言うことになり、その理由は、西洋社会には「気」の概念がないからと思われます。 古代中国では、「気」とは、すべてのものに存在する根元的なエネルギーで、非常に微細だけれど、常に振動しているものと考えられていました。それは、物理として考えられ、地上に生きる生物自然現象のエネルギーの元と考えられていたそうです。それが、いまから2500年もの昔にすでに考えられていたとは、本当に驚くべき事です。 私が「気」についてあれこれ説明を進めさせていただく前に、みなさんに是非ご紹介させて頂きたいものがあります。それは、幻冬舎文庫の五木寛之著「気の発見」です。 「気の発見」――見えない世界への旅のはじめに 「気」というものの存在について、私はあまり真剣に考えたことがない。いまでもそうである。しかし、見えないから「気」が存在しないなどと考えたことは一度もなかった。また科学的に証明されないから「気」はありえないと考えたこともない。むしろ実験によってその存在が確認されるような「気」なら、それほど興味もおぼえなかっただろうと思う。「気」は見えないからおもしろいのである。科学的に計測される程度の 「気」は、手にとって遊べるオモチャのようなものだ。 (中略) とはいうものの、「気」や「気功」といったものに対し、世間は長いあいだ怪しげなものを 見るような目で対してきた。いまもそうだろう。社会革命への夢が遠ざかったあと、人びとの夢は人間内部の探求へと向かった。身体革命の夢のなかから、「気」や霊的(スピリチュアル)世界への関心が高まっていったようにも見える。さらに近代の科学的思考への反省から、「モノ」と「ココロ」のむすびつきが見直されはじめた。そんな時代の風潮のなかで、「気」や「宗教」がにわかにクローズアップされてきたのである。とはいえ、そこにはある一線が引かれていることもまちがいない。その線の向こうになにかが見えていながら、私たちはなかなか一歩をふみだすことができないでいた。その線をこえた場合には、「向こうの人」あつかいされてしまいかねないからである。 私は「気」を神秘的なものとは考えていない。それと同時に、科学的な立場でそれを証明してほしいとも思わない。中国では国家的なプロジェクトとして、「気」の科学的解明と応用に取り組んでいるという。なにごとにも徹底的にやりとげようとする国だから、いずれ目に見える成果も示されるはずだ。しかし、私は「気」は、あくまで感じる世界であると思っている。「愛」の数値を証明されたところで、それにはなんの関心もないのと同じことだ。「愛」などと甘ったるい言葉を使うのはやめてくれ、と、いう声がきこえるような気がする。しかし私は、「愛」のない「気」の追求や「気功」など、なんの意味もないと思っている。 |


